転職消耗プランナー的日常

みんなー、消耗してるかーい?

アドバンスケアプランニング≠人生会議③

  まだケアマネになりたての頃、人生のしまい方を考えさせらるケースがあった。地域性がよくも悪くも田舎で、当時勤務していた病院も、先生の人柄に患者が集まるようなところで、気難しいけど、患者さんの仕事や生活は先生がよく知ってるというようなことも頭に入れて読んで頂きたい。

 

   受診は介護保険の更新時のみ、ほぼ寝たきりで重度認知症の男性。主介護者は重度の腎不全で車で1時間かかるクリニックに週3回透析に通う長男。

   ほぼ介護放棄じゃないかと疑われることもあったが、「親父もよくならないし、自分も大変だから現状維持で」というのが常だった長男。

   利用の大半はショートステイだったのだが、体調不良の状態でもそのまま利用させる、受診を勧めても「歳だから」と拒否するので、とうとうショートステイ利用を断られる事態になった。

    仕方なく担当者会議を開き、訪問診療を入れて、ショートステイ利用中の体調不良は家族が対応することでなんとかまとまった。

「親父には散々苦労させられたから、別に明日死んでもかまわない」

    訪問診療で来たドクターの前で、初回から言う息子に当時訪問診療に出ていた院長が激怒。診察を拒否するのをケアマネ、総師長、事務長でとりなしてなんとか継続した。

    どういう背景があって、「明日死んでもらってもかまわない」になってしまったかについては、長男は最後まで口を割らなかった。

   その一方で、利用者さんはじわじわと弱っていく。

   老衰と、積極的な治療をしなかったからもあるが。

   そうなった時に、長男の態度が一変した。

「このままではかわいそうなので、点滴だけでもしてほしい。できるだけ長く生きて欲しい。」

    再び院長激怒。ついこの間まで、さっさと死んで欲しいと言い切って、こっちの話に耳を貸さなかったくせに、何を言うか。話は平行線。

    そうこうしているうちに、利用者さんは亡くなった。院長は死亡診断書を書いて、粛々とお仕事をした。

 

   アドバンスケアプランニングなんてものが無い、15年以上前の話。一切の延命は希望しません、という生前からの意思表示「リビング・ウィル」だってまだまだレアケースだったし、認知症になったら延命するかしないかなんて、家族間の話し合いもケアマネが介入してなんとかなる時代ではない頃の話である。

 

(続く)