アドバンスケアプランニング≠人生会議③
前回の話は、どちらが悪いという話ではない。
息子が最後まで父親に対して「死んでもらってかまわない」というに至ったかを話さなかったし、よくも悪くも昔気質の医者で、理屈より情の院長は、息子を「親不孝な息子」と見切りをつけた。
今だからこそ言えるのだが、どっちも明後日の方向を向いたまま、終末期ケアをしていたから、なんとも後味の悪い結果になった。
この病院には9年勤めたが、どういう訳か医師と家族の意向が噛み合わない看取りばかりあった。
死を前にして和解しろとは言わないが、自分たちは年寄りを見てやる気はないが、最低限の治療だけしてくれとか、ここまではやるから先生お願いします、というのがない家庭が多かった。
農業が主幹産業で、介護保険のない頃は農繁期になると、検査入院の名目で年寄りを預かるのが入院設備のある病院だったから、住民の意識がアップデートされていないのだ。介護保険を使うのは体裁が悪い、入院の方が周りから色々言われないというのが大多数。
えらいところに勤めてしまった。住民の意識改革からしなくてはいけないというのは、砂漠に水を撒くようなものだから。学ぶところもあったが、かなり消耗した9年間だった。
さて。当事者たちが言う言葉に多かったのが、「どうせ死ぬんだから、その時は何もしなくていい」。
どうせ長くないなら、ぽっくり死にたい。とは言え、そうなった頃には意思表示も難しい。しかし治療はないので、退院してください。そう言われた家族は、悩んだ結果、胃ろうや中心静脈栄養を選ぶ。
何もしないでぽっくり、が難しい時代になった。
では、意思表示が出来るうちから、一切延命はしないでください、と主治医と決めておくのはできるのか?
アドバンスケアプランニングを学ぶに当たり、調べてみた。それについては次回。
(続く)