転職消耗プランナー的日常

みんなー、消耗してるかーい?

あずみの里控訴審から考える②

  さて。「あずみの里控訴審」についての報道をざっと見てみたが、「このような裁判で被告側の有罪判決が横行するようでは、介護現場が萎縮してなり手がいなくなる!」という、被告側の不利益よりの主張ばかりが主張される報道だ。

 

   一理ある。自分の親兄弟はいつまでも元気で、好きなものを食べられて、病気になってもまた元気になるというアタマの家族とやり合う苦労は、たたき上げの私にも分かる。しかし、「歳のせいです」という、聞き手側に察してくれという説明をするだけでは、介護職(介護職員、相談員、ケアマネジャー)もうっかりしたら法的責任を問われる時代になった。 

   訴えられないためには、こちらも学習しなければいけない時代になってしまった。

 

   類似事例の解説を、WAM-NETから引用した。

   

  https://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/top/fukushiiryokeiei/saibanrei/sabanrei001.html

 

   誤嚥事故に置いて、施設側の過失が問われたケース。馴染みのない表現が多いので、読みにくい部分もあるが、ここで問われたのは人員配置の問題ではなく、「嚥下障害があり、食形態には配慮が必要であることが施設職員間で情報共有されていないという過失」が問われている。

 

   平たく言えば、「言ったでしょ!」「聞いてません」という、ケアマネジャー・相談員と、介護職員の「あるある」は、司法の場では「安全管理の義務を怠った」と判断される。

    これが今回のあずみの里控訴審でも判例として参考にされているとすれば、弁護人が主張する「そもそも看護師に食事介助の業務を行う義務がなかった」は通用しない。仮にヘルプで呼ばれたとしても、食形態について配慮が必要という情報を把握していなかったことに過失がある。

    人員配置や職務内容について争点になっていないと言うことは、司法の場の判断では「介護施設で介護職員でなく看護師が食事介助をすることが違法か否かは過失の有無の争点にはならない」とも言える。

   情報共有体制が形骸化していることが問われているのだとすれば、人員配置以上に利用者の安全管理とは、というところから始めなくてはいけないようだ。